ちょうど2年前の今日は、私の父が亡くなった日です。
亡くなる前日の夕方(といっても外は真っ暗です)、会社を早めに抜け出して、柴又の病院へ父を見舞いにいったことを思い出します。
父を受け入れてくれて、毎日顔を出せる距離の病院を、見つけるのに苦労していて、
ある人のつてで、やっと見つけた柴又の病院は、お世辞にもきれいとは言えない病院でした。
毎日昼過ぎに、母を父の病院へ送って、母は午後を、父と過ごし、
その後夕方、母を迎えに行きがてら、私も父の様子を見に行くのが日課でした。
三郷けんわ病院から転院して2週間たったかどうかのところでした。
少しでも父が居心地良くできるようにと、
夜勤の看護婦さんに、おやつのケーキや和菓子の差し入れを毎日買って、夕方でかけたものです。
先生からは、心臓が弱っているから、いつ亡くなってもおかしくない状態だと、言われていました。
亡くなる前日の父は、いつもと特に変わった様子はありませんでしたが、
あの場面、自分の気持ち、父の顔、は目に浮かびます。
その日の夜遅く、お風呂から上がって、なんとなくテレビをつけたら、
たまたまシンガーソングライター風の男の人が、ギターを持って歌っていました。
その歌は、老いて死に行く父の心境を歌にしていて、題名も歌手も忘れましたが、
詩の内容が、頭にすぅっと、入ってきました。
弱っていく親に対して、何もできないと嘆くことはない。
昔、生まれたわが子が育つ様子を、親が見守ったように、
そばで子どもが私を見守っていてくれるだけで、嬉しい…。
みたいな詩だったと思います。
あの頃、無力感で一杯だった私は、その歌にちょっとほっとしました。
チャンネルを変えると、
NHKだったと思います。
病院で亡くなるより、自宅で死にたい、というお年寄りを支援するお医者さんを、ドキュメンタリーでやっていて、
「年取って、死ぬことは自然なことなのだから、家で死ねたら本望だよ。頼むよ、先生。」
という老人と、それを補佐している医師が、「大丈夫、俺にまかせてよ。」なんて明るく言い合っているところを見ました。
死ぬことは、そんなに特別の事じゃない、自然な事なのかなぁ、あんなに明るく言い合うなんて…。
などと考えながら寝たのを覚えています。
次の日の朝、父は亡くなりました。
今でも思います。あれは父のメッセージだったのでは?…、と。