試験のお手伝い

城です。

 

昨日の日曜日は、不動産業では重要な資格、宅地建物取引士(旧 宅地建物取引主任者)の 年に1度の試験日でした。

私は、その試験のお手伝いを仰せつかることになり、会場の一つとなった日大で監督員の一人として参加してきました。

国家資格である宅地建物取引士の試験ですから、、日本全国どこで受験しても 平等な条件になるようにきちんとしたマニュアルに則り行われなければならない 厳格なものです。

皆さん一生懸命勉強されて 真剣に試験に臨まれているのですから、

トラブルがあってはいけないので、初参加のわたしは自分が受験するときくらいに緊張して勤めてきました。

 

それでも、皆さんが答案に真剣に向かっている様子を見るにつけ、昔自分が受験したことを思い出しました。

 

受験したのは いったい どのくらい前だったのかと改めて数えてみたら、17年も前のことで私はまだ30代でした。

不動産屋をやっている父の会社で 育児と主婦の合間の手伝いをしていた私に、

父が毎日のように勉強して資格を取ってくれと言いつづけるのです。

それに根負けして、

試験日の半年くらい前から週に2回ほど 松戸の学校に通い出したのが37歳の時。

久しぶりに黒板にノートの授業は、聞いたこともない用語だらけ、暗記しなければならないものの膨大さ。

授業を聞いていても、最初は全然意味ついていけない。

でも受からないと、受かるまでずっと 父に顔を合わせれば言われ続けると思い、そんなうっとうしい事はごめんだから

ここは何としても1度で済まそうと、不純な動機で頑張りました。

そのうち小テストでちょっと良い点を取ることができ、クラスに自分の名前が張り出された時から、何だか火がつきだして(そこが学校の手よね)

合格目指して一心不乱、人生史上一番勉強しましたし、試験の時は 人生史上一番頭を使ったと思います(笑)。

 

その甲斐あってか こんな私でも一発で合格することができましが、

まさか それから17年後 こんな風に監督員をすることになるとは その時点では 一瞬たりとも想像しませんでした。

人生って 測らずとも なりゆき?ゆきがかり?で 面白いとろこに行きついたりするものですね。

 

父の願いどおり 資格を得たことが、

その後私の人生に大きく影響して そして今にいたり その資格のお陰で 今 こうしていられるのですから、

あの時一生懸命に頑張ったことは 今となっては良い思い出だし、

その受験のお手伝いをさせてもらえるという事、大きな意義がある1日でした。