50年前のえにし

城です。

この手編みの毛糸の靴下。

この靴下には、50年のえにしがあります。

履いていると、不思議な感じがします。 

2月のはじめに、親戚で不幸があり、山形に母と行った時の事は、「山形さいってきただ」「ルーツは雪国だぁ」でお伝えしました。

私の亡くなった父の姉の夫(つまり義理の叔父)の葬儀だったのですが、

この靴下をおくってくれた人は、その叔父の父親の、兄弟の、娘、と、

はっきり言って親戚とはいえないくらい遠い関係の、70歳すぎのおばちゃんです。

葬儀の前日、私たちに話しかけてきたのです。

「茂美さん(父の名前、ガラにあわず可愛い名前)、亡くなったんだってぇ!、知らなかったぁ、今日来れば会えると思ってたのにぃ。」と。

そして、「茂美さんにはお世話になったんだぁ」と言うのです。

 

まだ私の父が独身だったころ、そのおばちゃんはもちろんうら若き乙女で、

東京に出て働きたいと家族に言い出したのです。

約50年前の東京は、山形から見れば今よりずっと遠く、若い娘には相当ぶっそうなところです。

東京なら、「たけ子の弟の茂美さが、東京で警察官やっているから、聞いてみるかぁ」と言うことになり、

相談を受けた父が、その当時行きつけの喫茶店を紹介し(私の知る限りお茶しか飲まなかった父に行きつけの喫茶店があったことは驚き)、

そこが住み込みで雇ってくれることになり、警察官が安心だというお店なら大丈夫だろうと、上京して働きだしたそうです。

働き出してまもなく、そのお店に来る独身男性の客が、そのおばちゃん(当時はおねえちゃん)に一目惚れし、毎日毎日、「結婚してください。」と通ってくるようになりました。

とうとう根負けして、働き出して1年もたたずにその人と結婚することになり、寿退社(はあと)。

その後駒沢公園のそばに家を買って喫茶店を開いたそうです。

今はおばちゃんの旦那さんは亡くなってしまいましたが、日体大のそばの喫茶店なので、

日体大のお兄ちゃんたちから慕われながら、元気にお店をやっているのだそうです。

だから、「今の私がいるのは、茂美さんのおかげだぁ」、「お線香上げにいかなくちゃいけない」と。

父のおかげかどうかはわかりませんが、そのおばちゃんの人生の転機に父がかかわったことになったようです。

母も私もその話は初耳でした。

その後、家に帰って数週間たったころ、おばちゃんから送られてきた、手編みの靴下数足。

父が口をきいた事をきっかけに踏み出したおばちゃんの人生が、

その後父が結婚し、残された私たちの人生と、約50年後に交わった、という証の靴下です。