2年前

城です。

(昨日お知らせした水元の新しい体育館情報は、また明日…)

今日は、東北の大震災があった日からちょうど2年目の日です。

被災地の皆さんの痛ましい現状に比べれば、まだまだ大したことは無いですが、

東京葛飾区の私たちも、あの時の地震、その後のいろいろな混乱、そしてその後の更なる不景気な経済を、

なんとか乗り越えて2年が経ちました。

 

 

あの時、何を考えて何をしていたのだろうか…、と思った時、

このブログの2011年3月を、改めて振り返ってみました。

ブログのページの右下に「月次アーカイブ」と題して、ずらっと並んでいる中履歴の中の2011年3月、を選ぶと見ることができます。

 

ほぼ毎日更新していたブログですが、さすがに震災のあった日、3月11日は更新していません。

テレビで流れる津波の映像に、言葉も無く、ただただ家族の無事、津波に巻き込まれた人の無事、被災された人の無事を祈るばかりでした。 

 

3月12日、13日には、自分たちの無事と、身の回りや地域の被害状況などを報告しています。

私のブログを書くときのモットーは、暗くなるようなことはあまり書かず、明るく元気な感じにしたいと思っていますので、深刻な感じにはしないように心がけていますが、そんな中でもこの時期は、 

3月14日には、近所のスーパーにお客が殺到し、どの店も、食料や水がなくなった状況を書いております。

3月17日ころになると、福島の原発問題が大変なことになっている事、放射能が拡散されていることがわかり始めたころで、そのことを、我が家の黒猫チビの事になぞらえて書いています。

3月18日は、ガソリンが大変不足してスタンドが長蛇の列、仕事にも支障がでる有様だったころで、

渡邊が青砥から自転車で通勤していることなどを。

3月19日には、釜石市在住の同級生と連絡が取れないことを。

3月28日には、今まで当たり前だった普通の暮らしが、本当は当たり前では無かった、という事がわかった、今までの普通が、とても有り難かいことだった、と書いています。

 

あれから2年が過ぎたわけです。

2011年3月28日に、普通に暮らせることがどれだけ有り難い事かと改めて気づきました、と書いていたのに、

今の私は、もうすっかりそのことを忘れていました。

今朝テレビで、震災の時の様子など特集しているのを見て、2年前のブログを見て、

あぁ、あの時の気持ちを忘れてはいけない、今の幸せを大事にしないといけない、と思ったわけです。

 

明日、もしかすれば関東に大地震が来るかもしれません。

明日来なくても、いつか来る時があるかもしれません。

今の普通が、その時、幸せだと気付くのでは遅い、のですから。