地震の後の話し

城です。 

柳にも、花が咲くってしっていましたか?

地味な花ですが、春の色ですね。 

(水元公園にて)

 

地震の後、人と会うと、必ずその時、自分がどこで何をしていたか、の話になります。

ひととおり、お互いがどんな状況でどんな被害だったかを語り合うと、

次は自分の知り合いや親せきの、被害にあった人から聞いた話になります。 

不思議と、だれかしら東北出身の人か、東北のどこかに縁があります。

うちの会社の社員の嫁の家は、とか、会社の支店の場所が、

とか…

次は、原発と放射能の話になり、

停電の話になり、水や野菜の話になって、

人によって、経済や政治の先行きまでの語り合い、

そこで一通り、話は収束します。

 

今日は、船橋市の海の脇の中学校で、教師をしている方の話を聞きました。

体育館で生徒全員そろって卒業式をしているときに地震がおこり、

校庭に出たら、立っていられないほど揺れて、

手を地面につけて伏せていたら、目の前でグランドが割れ、

砂と水が噴き出してきた、というのです。

その後、2mの津波が警戒され、皆教室に避難したけれど、津波は来なかった。

夕方6時まで様子を見て、その後皆帰宅ということになったのですが、

電車は止まっているので、船橋から柴又まで歩いて夜10時ごろたどりついたとか。

校庭は、液状化現象で水浸し。

校舎もひび割れがすごいそうです。

中学校の周りの住宅も傾いていて、

住人が避難してきたけれど、

津波が心配だから、他の学校に移ってもらったとか。

浦安だけじゃなく、船橋市も埋め立て地だったのですね。

校庭をもとに戻すのに、2千万円もかかるそうです。

停電もあるし、壊れているし、給食も作れない、と言っていました。

円や株が乱高下し、先生のご友人は大損をした、なんて話も。

 

親せきや知人が西日本にいる人は、水や乾電池を買って送ってほしいと頼むのですが、

九州でも近畿でも北陸でも、品薄状態が続いていて、買い集めて送るのは難しい、

というのが、みなさん一致した見解です。

みんな、考えることは同じなのです。