城です。
さて、かつしか語り隊ガイドさんと柴又駅広場から、帝釈天参道に向かって歩いていくと…
小さな小さな橋があったのです。 橋があったとは、他の皆さんも気づいていないと思います。
帝釈橋(たいしゃくきょう)というこの橋は、日本で一番短い橋といわれているそうで、 わたる長さは1mもありません。
|
|
橋の下を覗いてみれば、ちゃんと川が流れていました。 昔の農業用水路だったそうで、今は鯉が泳いでいる 小さな小さな川です。 これは、教えてもらわなければ 素通りしてしまいます。 知っていると ちょっと嬉しいポイントですね。 |
|
橋の横では、渋い猫が 日向ぼっこしていましたよ。 | |
橋を渡って進むと、帝釈天参道のアーチ。 いよいよ参道らしくなります。 右側に立っているのは、渥美清さんが寄贈した常夜灯でございま~す。 |
|
その後ろには、 『わたくし 生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯を使い…』 と、寅次郎のお馴染みのセリフの碑 |
|
常夜灯の反対側には、もっと古い石碑が立っています。 これは、明治・大正・昭和初期 帝釈天に定期的に参拝に来ていた 浅草の歌舞伎役者たちが寄進たものなのだそうです。 役者名も下に刻印されています。 そのころの歌舞伎役者は、今のジャニーズなみのアイドルじゃないですか? すごいことですよね。
JR金町駅ができたのが、なんと明治30年。 金町駅から柴又までは 人力で走る人力鉄道(1車両に8人くらい乗ったのを人が押して動かす)ができ、 それからは 柴又帝釈天に参拝に来る人が急増。 浅草、築地あたりの旦那衆がたくさん遊びにきたのだそうです。 |
|
「まねき板」ご存じでしすか?(私初めて気が付きました。) うえの石碑の並びにある えびす家さんの軒先、 もっと先にある川千家さんの軒先にも飾ってあります。 |
|
お得意さんの目印だそうで、それを見ると 築地 〇〇家、とか浅草 〇〇 とか参拝に来る人の名前が書いてある板です。 寅さん映画のずっと前、明治30年の昔から、いえいえ江戸の時代から、 ご利益を求めて、川魚料理を求めて? 帝釈天には多くの人が集まってきていたのですね。 |
|
帝釈天の周りの玉垣にも、帝釈天の人気のほどが見て取れます。 沢山名前が入っているのをずっと見ていくと、王貞治とか、関取の柏戸とか、 |
|
こちらには、柴又 芸妓一同 と。 参拝の後は料亭で芸者さんと飲んで歌って遊ぶ、 それが都会から来た旦那衆や遠くからはるばる来た人達の楽しみだったのでしょう。 柴又にも芸者さんが沢山いたのでしょうねぇ。 |
ということで、ちょっと参道を歩きだしただけで、いろいろ発見があり、
柴又の旅 は 続くのでした。