城です。
台風19号、怖かったですねぇ~。
皆さまのお宅の被害は大丈夫でしたでしょうか。
我が家と梅津不動産はお陰様で無事でした。
水元地域は停電も無く、水も上がらず、小さな事件(屋根がめくれた、木が倒れた)はあっても、TVで報道されるような大ごとになることはなく、まずは何よりでした。
川の氾濫で被害にあわれた方々は、本当にお気の毒です。心からお見舞い申し上げます。
数十年に一度の超大型台風が関東地方のみならずその北日本直撃だという報道は、1週間くらいまえから始まっていました。
千葉に大きな被害をもたらした前回の台風よりも大きいとのことで、前回の風速500mでガラスにスリッパや傘がぶつかったらどうなるか、という映像も何度も繰り返しされるし。戦後まもなくに来たキャサリーン台風のような被害が葛飾区を襲うのではないか、という報道まであり、もう台風が来る前から、戦々恐々です。
戦後間もなくに来たキャサリーン台風は、埼玉県の川の氾濫の影響でこの辺一帯は水が上がって大変なことになったのですから。
あれから下水設備の整備、川の整備(水門や堤防)色々な対策がされてきているはずなのに、またそんなことになるの?( ゚Д゚)
前日の夜には別に住んでいる娘からラインが来て、準備はできているのか?食料はそろっているのか?下に置いてある書類や大事なものは2階に運んだほうが良い、などと心配され。ハザードマップも添付され、まさか本当にこんなに浸水することになるの?そんな訳ないよねぇ?と半信半疑の気持ちと、覚悟と不安とが頭の中をぐるぐるまわり始めます。。
昨日はもちろん、会社は臨時休業です。
休業する日の前日は、会社の外に置いてあったもの全てを、強風で飛んでいかないように皆で事務所内にしまい帰宅しました。(自転車、看板、ごみ箱、植木の松、消火器等々)
大手スーパー イトーヨーカドーやマルエツなども休業、電車もバスもみな止まるという、本当に今まで経験してきた台風とは別格の台風が来るのだと、緊張感がどんどん上がっていきます。
(ちなみにライフ水元店は、当日の午後1時まで営業しました。昼頃に行ったら食料品は豊富にありました。本日は12時から営業したそうです。)
一番心配なのは、川が氾濫しするかもしれないということで、そうなったら自分たちだけでは留まらないことですが、
もうまずは会社のことが心配で心配で…。
パソコンとサーバー。
これだけ残っていれば書類が無くなっても仕事は何とかなるはずだ、と思い。(パソコンとサーバーがあっても、地域が水没したらどうしようもないのに、何かせずにはいられない)
でも具体的にどうしたら良いのか、もう全部配線外して、2階に持って行ってしまおうか。
でも、その後水が来なかったとして、通常通り仕事再開するには配線を自分でできなければ、業者を呼んで復旧させるはどれだけ日数かかるだろうか?
2階に持っていっても、千葉県の被害があったところのように強風で屋根を持っていかれたらどうしようもないし、などと考えだすと もう答えはでません(~_~;)。胃が痛くなりました。
で、考えた結果、ノートパソコン2つは配線を外し自宅へ持って帰る。デスクトップ型2つのうち1つはそのまま(すぐ仕事再開できるように)、一つはサーバーの浸水した時の保険として、配線外して2階へ移動。
最も重要な4つのパソコンの共有のサーバーは、裏のコードを伸ばせるだけ伸ばしてできるだけ高いところへ移動。(気休めのようでもありますが、何もしないでいると台風が通り過ぎるまでず~っと心配していなければならないと思って。)
ということで台風上陸前の午前中、隊長と2人会社に来て作業しました。
配線を外す前に、あとで自分で配線できるように裏側の配線写真を何枚も撮りつつ。
作業が終わって、貴重品とノートパソコンを持ち出し、どうか川が氾濫しませんように、今やっていることが無駄な努力になりますように、と祈りながら事務所を後にしたのです。
その後、もう一つの気がかりである母を迎えに実家に行きました。
もし川が氾濫したら、母を迎えに行きたくてもいけなくなってしまうし、そんなことが無くても一人で台風をやり過ごすのは不安だと思い、一緒にいた方が良いと思いまして。
母は5つくらいのバッグに荷物をまとめて迎えを待って言いました。
なにを入れたの?って聞いたら2~3日分の着替え、薬、食料、懐中電灯…etc。
もちろん母のまとめた荷物も、当然ながら使われることなく、次の日の朝には帰宅で来たわけで、
わたしも、こうやってブログを打てているわけです。
続く