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葛飾の昔ばなし

柴又旅 帝釈天編

久しぶりに、柴又旅行記の続きです。

 

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参道の奥に立つのは、二天門

左右には四天王のちの増長天、広目天(平安時代作だそう。古いですねぇ)が鎮座されています。

暗いですけど、覗いて見てみる価値あります。

残りの2天 持国天と多聞天は内殿の本尊の左右にあるそうです。

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二天門の左手にあるのは、鐘つき堂

寅さん映画で、げんちゃん(佐藤蛾次郎)がついていた 鐘です。

朝6時、昼12時、夕6時、3回鳴らすのだそう。

よく とらやの食卓で、夕方のシーンに鐘がなる場面があります。

「夕ご飯まだ?おばちゃん。」と寅さんが階段を降りてくるとか、

ひろしが裏の工場から帰ってくるとか、

あれは、午後6時なのですね。

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さて、門をくぐれば 正式名称 経栄山題経寺が。

この地は、江戸時代前は、里見家と北条家の勢力争いの地であり、

このお寺の裏の江戸川の川原あたりでは、何度も戦があったそうです。

沢山の兵士が死んでいたり、また畑や田んぼも荒らされた 荒れた土地だった時代があり、

それを見た えらい上人が 清らかな水が湧き出るところを見つけ、

兵士を弔うために お寺を建てたのだそうです。(今から390年前。)

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その湧き水、今でも参拝者のお清めに使われている この水なのです。

清らかな水が今でもどんどん湧いてきています。

この湧き水がなければ、帝釈天も寅さんも柴又も、全然違うものになっていたのかも。

すごいことですね。

何しろ寅さんが産湯に使ったことになっているのも、この水‼

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柴又の旅で私が一番感動したのは、この後、

拝殿の奥にある内殿の彫刻ギャラリーと庭園でした。

 

そこへ向かう渡り廊下が また素晴らしい。

(寅さん映画では、この渡り廊下で寅とゲンちゃんが仕事サボって遊び、御前様に怒られるシーンあり( ´∀` )

ここからは、柴又の下町の空気ではなく、

京都の有名なお寺に来たかのような 空気に変わります。

 

ということで、しばまた語り隊受け入りの 柴又の旅は まだまだ 続きます。

柴又 帝釈天参道の編

城です。

 

さて、かつしか語り隊ガイドさんと柴又駅広場から、帝釈天参道に向かって歩いていくと…

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小さな小さな橋があったのです。

橋があったとは、他の皆さんも気づいていないと思います。

 

帝釈橋(たいしゃくきょう)というこの橋は、日本で一番短い橋といわれているそうで、

わたる長さは1mもありません。

 

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橋の下を覗いてみれば、ちゃんと川が流れていました。

昔の農業用水路だったそうで、今は鯉が泳いでいる

小さな小さな川です。

これは、教えてもらわなければ 素通りしてしまいます。

知っていると ちょっと嬉しいポイントですね。

201742311288.jpg 橋の横では、渋い猫が 日向ぼっこしていましたよ。
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橋を渡って進むと、帝釈天参道のアーチ。

いよいよ参道らしくなります。

右側に立っているのは、渥美清さんが寄贈した常夜灯でございま~す。

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その後ろには、

『わたくし 生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯を使い…』

と、寅次郎のお馴染みのセリフの碑

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常夜灯の反対側には、もっと古い石碑が立っています。

これは、明治・大正・昭和初期 

帝釈天に定期的に参拝に来ていた

浅草の歌舞伎役者たちが寄進たものなのだそうです。

役者名も下に刻印されています。

そのころの歌舞伎役者は、今のジャニーズなみのアイドルじゃないですか?

すごいことですよね。

 

JR金町駅ができたのが、なんと明治30年。

金町駅から柴又までは 人力で走る人力鉄道(1車両に8人くらい乗ったのを人が押して動かす)ができ、

それからは 柴又帝釈天に参拝に来る人が急増。

浅草、築地あたりの旦那衆がたくさん遊びにきたのだそうです。

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「まねき板」ご存じでしすか?(私初めて気が付きました。)

うえの石碑の並びにある えびす家さんの軒先、

もっと先にある川千家さんの軒先にも飾ってあります。

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お得意さんの目印だそうで、それを見ると 築地 〇〇家、とか浅草 〇〇

とか参拝に来る人の名前が書いてある板です。

寅さん映画のずっと前、明治30年の昔から、いえいえ江戸の時代から、

ご利益を求めて、川魚料理を求めて?

帝釈天には多くの人が集まってきていたのですね。

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帝釈天の周りの玉垣にも、帝釈天の人気のほどが見て取れます。

沢山名前が入っているのをずっと見ていくと、王貞治とか、関取の柏戸とか、

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こちらには、柴又 芸妓一同 と。

参拝の後は料亭で芸者さんと飲んで歌って遊ぶ、

それが都会から来た旦那衆や遠くからはるばる来た人達の楽しみだったのでしょう。

柴又にも芸者さんが沢山いたのでしょうねぇ。

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ということで、ちょっと参道を歩きだしただけで、いろいろ発見があり、

柴又の旅 は 続くのでした。

身代わり地蔵

城です。

またまた、瀟洒な邸宅売り家のまわりで見つけたものの続きでございます。

ご紹介しました売り家は、戸ヶ崎1丁目にあるのですが、その先は栄になります。

 

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栄方面に歩いて1~2分のところに、2郷半緑道という散歩道があります。

緑道の両側が車道で、中央に小さな川と歩道、そして街路樹や植栽があり、

散歩するのに良さそうな小道です。

 

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私が歩いている間にも、散歩する人、ジョギングする人が絶えません。

植えてある樹は桜のようです。

春に歩きにきたら、絶好のお花見ポイントになりますねぇ。

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立派な看板があるので、見入ると、

三九村の身代わり地蔵、と説明が…。

このあたりは、三九村と言われていたのですね。

何でも、江戸時代中ごろに、

この村で起きた不思議な事件の犯人が見つからなくて困った村長が、

ここにある六地蔵のうちの2体を、身代わりに犯人にして、

村中を引きまわした、という言い伝えがあるらしいです。

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それが、その噂のお地蔵さん。

祠に入っている六地蔵さん以外に、外に出ている地蔵さんがいて、外にいるのが犯人にされた地蔵さんらしいです。

東水元の南蔵院の縛られ地蔵といい、昔は、何かというと、地蔵さんが誰かの身代わりにされることがあったんですねぇ。

犯人にされた地蔵さん、今でも屋根の外に追いやられて、お気の毒な。

 

と、いうことで、戸ヶ崎1丁目付近で、来年のお花見ポイントを発見!!、となりました。

時代劇考

城です。

最近は時代劇がブームです。 新聞に出るテレビの視聴率ランキングでも、「江」や「仁」がトップを争っていますね。

毎週日曜日にNHKでやる大河ドラマ「江」では、先週小田原攻めが行われ、

豊臣秀吉によって、小田原の北条氏が滅亡したところをやっていました。

ふうん、と見ていた方、実はこの地域も、この戦に少なからずかかわっていたのですよ。

 

戦国時代、このあたりの地域は葛西と呼ばれていて、今の青砥近辺に葛西城がありました。

関東地域の葛西城は関東管領・上杉が納める最南端の地だったのですが、

小田原軍とのせめぎあいが続いていました。

(ということは、この辺をもしかして、上杉謙信や直江兼続なども駆け抜けていたかも…。)

豊臣が北条攻めをした1590年には、葛西地域は北条家のなわばりでした。 

「ここらへんは、おいらの縄張りだぞ。」 

ですから豊臣方の徳川家康率いる別働隊が、葛西の地に迫ったのです Surprised

その時の記録が残っています。

(かつしかの文化財発刊50号の記念誌 25号葛飾区郷土と天文の博物館 学芸員 谷口さん著 参照)

 

葛飾のむかし話 その2 遍照院の話

城です。昨日のブログの続きで、葛飾のむかし話、の本にに載っていた面白いお話をご紹介します。

梅津不動産(水元2丁目)のすぐ近くに、遍照院(水元5丁目)というお寺があります。

(ちなみにこのお寺は幼稚園も併設していて、私は遍照院幼稚園の第一回卒業生なのですが、それはそんなに昔話でもないので、今は置いておいて…)

 

この遍照院は実は1,200年も前からある古い立派なお寺で、昔はその敷地も今と違ってすご~く広かったそうです。 (きっと荘園のようになっていたんじゃないかと思います。)

それは戦国時代のころ、この地域は、小田原の北条軍と、今の房総の里見軍が、領地の取り合いのいくさを何度か繰り返していました。

柴又の矢切の渡し付近の川原や、国府台(こうのだい)などが合戦の場となりました。

毎回、北条軍が勝ちましたが、ある時の戦で、負けた里見軍が、戦場から逃げ延び、遍照院にかくまってもらったのです。

そこへ追ってきた北条軍が寺を囲み、里見の兵を出せといってきましたが、住職は怪我をしている兵を引きわたさなかったそうです。

腹を立てた北条軍は、とうとう寺に火を放ち、火はどんどん燃え広がりました

大きな寺の建物が燃え落ちようとするとき、住職は、寺に伝わる財宝の砂金を壺につめ、しっかりと蓋をして、寺のかたすみに埋め、「寺に大事があったら、これを掘り起こして役に立てなさい。」と、言い残して、寺とともに、この世を去りました。

 

その後、時代は過ぎて江戸時代、荒れ果てた寺を再び建て直そうという事になって、村人たちは、言い伝えられていたあの住職の言葉を思いだし、宝探しが始まったのです。

宝が埋まっていそうなところが、次々と掘られましたが、見つかりません。

村人たちは、「まだ出ぬか、まだ出ぬか」と一心に掘り続け、その後には、小高い丘や池が出来たほどでした。

しかし、とうとう宝は出てこなかったのです

いったいあの住職はどこへ壺を埋めたのでしょう?。

もしかしたら、水元に住んでいる、あなたの家の下に、壺はうずもれているかもしれませんよ…。

というお話です。  なんだか、夢がある話じゃないですか!!(大人にとっても)

梅津不動産の敷地に、埋まってるかも~!! Laughing

遍照院の敷地は、当時相当広かったらしく、水元小学校(水元4丁目)のとなりには、今のような住宅地になる前は、一本松が植えてある小高い丘があったり、くぼ地があった、ということなので、きっとその時に宝探しをした名残りだったのでしょう。

あなたの家の下も、一度掘ってみたら…?

 

「葛飾のむかし話」の本は、葛飾区児童館職員が地元のお年寄りの皆さんからお話を聞きだし、昭和59年に何十話ものお話がまとめられています。是非、図書館に行って、借りてみてはいかが?

また、次の機会に面白いお話、ご紹介しま~す。

3月にご紹介した、名主の源右衛門さんのお話も見てね

葛飾の昔ばはし その1

城です。金町駅の南口の前にそびえ建つ40階建ての高層マンション(ヴィナシス金町)。

その3階のフロアー丸ごと、葛飾区の図書館が入ったのは知っていたのですが、先月初めて行ってきました。

 

広くて、綺麗で、まぁ、本が多くて(そりゃそうか、図書館なのだから)、 ビックリしましたぁ。

本を借りるのに、カードと暗証番号を使って、パソコンで各自手続きをするシステムになっていました。

機械の上に借りる本をまとめて置くと、重ねて置いてあるのに、全てのICチップを瞬時に読み取るんです。

教わりながらやったのですが、浦島太郎のような心持ちになりました。

何しろ、私は自分の子供の夏休みに利用したぐらいで、あれから何年、図書館に来なかったんだろう…

 

 

それこそ、いろんなジャンルの本が置いてあるのですが、

葛飾区についての文化、歴史、自然、などをまとめて置いてあるコーナーを発見しました。

結構、あるんですよ、それが… 

 

「葛飾漫歩」、ブログの参考になるかな…?

と手に取ってみたら、著者はうちの大家さん!! Surprised

校長先生を退職されてからも、文化財保護推進委員など、いろいろと社会に貢献されている方なのですが、こんな本を出していたなんて…!!

新たな発見!! 

ちなみにこの表紙の写真は、私も前にブログでご紹介した、閘門橋(こうもんばし)です。

プロが撮ると、違って見える。さすが~。

エッセイ風に、葛飾区のいろいろな場所を歴史や風俗を踏まえて紹介していて、軽い感じで読めます。 

写真の本以外にももっといろいろな本を借りました。

もう、葛飾区の歴史でも自然でも、相当明るくなりましたよ Wink

葛飾博士になれるかも…?(読んだもの忘れなければね…)

中でもおもしろかったのは、写真中央に写っている、「葛飾の昔話し」

子供向けに書かれているから、読みやすいこともあるんですが、内容もちょっと心引かれる話がありました。

そのお話については、次回ご紹介しま~す Laughing

 

水害を救った名主源右衛門

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こんにちは、城です。

西水元の中川沿い(4丁目)の土手になる大イチョウとその下の水神様をご存知ですか? 今は枝ばかりですが、夏には大きな影を落とし、歩く人たちに涼を分けてくれます。

この場所には伝説があるのです。

昔むか~し、江戸時代、大雨であちこちの川が氾濫し、この中川の土手も決壊しそうになりました。この土手が切れると江戸中が大洪水になります。

それを防ぐのはもう人力ではどうにもならない、と名主の源右衛門さんが自ら人柱になって、念仏を唱えながら濁流に入っていったのです。

すると、不思議なことに水の勢いが衰え、洪水を免れることができたのです。村人は泣いて喜びました。

その後人々がここにイチョウの樹と水神様を祭ったという事です。

今では、土木工事も発達し、水門もあちこちにでき、洪水になることもなくなりましが、このイチョウの大木と水神様は、この町を見守っていてくれるのです。

*かつしかの文化財代10号参照

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源衛門さん、偉いですねぇ~。

水元にも昔の人たちの歴史のなごりがたくさん残っています。

またご紹介していきたいと思います。

 

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